出会いを語る

男女が語る'出会いがある・ない'

出会いの表現はこうだ、「出会いが欲しい」「出会いがない」どんなにたくさん人が集まっても会話の内容はだいたい決まっている。そのほとんどが'恋'に関する話題である。

上手に恋を育ませている幸せなカップルというのはなかなか少ないもので、話題で浮上してくる事はある程度の恋人の自慢話か、片思い相手との面白くないデート話そして彼氏彼女への不満をぶちまけるいわゆる愚痴である。

それらの三者ともにあてはまるような相手がいない時には出会いが欲しい、出会いがないと大抵つぶやく。女が四人集まれば話のネタはそれらしかないのだ。悪い話をすることで自分の脳内である程度整理をする、そして次の段階へ踏み込む準備をするのである。

次にどうやって出会いを見つけるかそれまでの自身の経験から積み上げた能力を一番最初に発揮する。これが一般女性に見られる「別れから出会い」への切り替え方だ。出会いが無いとつぶやく女性ほど生命力があふれてる生き物はいない。経験から学習し、いつどこでどんな風に出会いがあるかわからないと考えているからである。「出会いがない」とはつまり、出会いそのものにさほどの情報収集をかけずにきっと今は他に欲望的な赴きがない段階なのだ。一般的な人間の生活を送っていれば出会いなんてたくさんあるにきまっている。

要は自分への働きかけがないだけなのだ。それを逆手に取ると没頭している事柄があるのだから素晴らしいフレーズでもある。出会いが欲しければ死に物狂いでさがしに行けばいい、何も難しい話ではないのだから。

出会いのバロメーター

さぁ。出会いをどうやってはじめよう。出会いという言葉は男女の馴れ初めとして随分と定着してしまっている。それだけに出会いの意味は広くて浅くその行動パターンとしても限られている。その手段にはどんな疑問も厭わない、コミュニケーションツールはほとんどが携帯電話、個人情報は簡単に教えられる。まさに出会いのバロメーターとはこれらがそろってのこと。

いつどこにいても誰かと出会う事ができるインターネットを通じてコンタクトをとり、何食わぬ顔で現代を生きる。出会いそのものがエネルギーに、生きる活力になるのだ。

恋を目的とした出会いの心情

出会いは待つもので持ちかけるものなのか。どっかから勝手に歩いてやってくるなんてすごい運勢の持ち主だ。

人前で話すのがどうしても苦手な人でも少し外見、雰囲気共に良好であれば人づきあいがへたくそでもあっちから歩いてくるんだから。それはまさに強運の持ち主としか言えない。世の中は不公平なもので、下流へ流されている自分をただ見つめられているだけの人もたくさんいるのだ。だれの目にもとまることなく流されているだけで自力で助かろうともしない。

その人の生命力のない現状に驚かされる。同じ用に隣で流されている人は必死で助けを呼んでいる、自力をもって人と接触しようとしている人である。そのアピールは必ず誰かに届くのだ、今までなんの出会いも無かったような人がついに本領発揮をする瞬間。

運命に指図されることもなく自分で未来を切り開いたのだ。出会いとはそういうものである。

このページの先頭へ

出会いのバロメーター